ずっと観たいと思っていたバケモノの子を観てきました。
一人で映画を観に行きましたが、一人映画って良いですよね。
一人で映画に行くなんてありえない!
友達に一人で映画を観るってどう?と聞くと、「一人で映画を観るなんてありえない!」「一人とか寂しすぎ!」と言われた僕ですが、意外と一人映画って良いですよね。
一人で映画を観るよりも誰かと映画を観た回数の方が多いのですが、一人で映画を観る方が気楽だなぁと思う事も稀にあります。
人によっては前の席で観たい方もいるでしょうし、後ろの席で観るのが当たり前という方もいます。こだわりなどがあると思いますが、僕は一番後ろの端の席で観たいタイプです。
字幕か吹き替えについても「絶対にこっちが良い!」と考えている方もいるかと思います。
映画を友達と複数で観に行ったとしても映画を観ている最中は喋らないので、一人映画=寂しいとなってしまうのは違う様な気がします。
自分が観たい映画を友達も本当に観たい映画なのか分かりませんし、そういったことを含めて、一人映画は最高だなあと思っています。
一人映画のデメリットを挙げるとすれば「映画の感想を語り合う事ができない」という事です。
映画を観た後は印象に残ったシーンなどを友達と話したいのですが、一人で映画を観るとそれができないんですよね。
そう考えると一人映画は寂しいのか・・・?
バケモノの子の感想、一郎彦はなぜ鯨の文字を読めたの?
話は変わって、金曜ロードショーでサマーウォーズ、おおかみこどもの雨と雪、時をかける少女を見て細田守監督の作品にはまり、「バケモノの子」も観てきましたが良い映画でした。
映画の後半に若干詰め込みすぎな感じもしましたが、全体的に良かったと思います。
作中で疑問に思ったのが、一郎彦はなぜ「鯨」の文字を読む事が出来たのかということでした。
九太の様に人間界に時々戻っているのかと思いましたが、一郎彦は父である猪王山の様な容姿になれないことをコンプレックスに感じていて、人間そのものが好きではなかったので自ら人間界に行く事はなさそうです。
父親の猪王山が勉学を教えていたということも考えられますが、一郎彦を育てていく中で「お前はバケモノではない。元々は人間だ。」というカミングアウト的なことはせずに、自分の子(バケモノ)として育てていたので、猪王山が勉学(人間の言葉)を教えていたというのもなさそうです。
父の様なバケモノでありたいという気持ちと、自分自身が人間である現実に悩まされる一郎彦ですが、本心では人が嫌いではなかったんですかね?
人の親に捨てられバケモノに育てられてしまった以上、「人間を嫌いになるしかない」といった感じでしたが、心の奥底では人を嫌ってはいないのかもしれません。
蓮(九太)は9歳まで普人に育てられていましたが、一郎彦は人間でありながら一度も人の愛を感じずにバケモノに育てられてきたので、人間への羨望というのが多少なりあって、人間界に時々行っては九太の様に色々と学んでいたのかもしれませんね。
細田守監督の作品は「この主人公はこの先どうなっていくんだろうと」自分なりの想像や妄想ができる作品が多い気がします。
「おおかみ子供の雨と雪」「時をかける少女」を見終わった後は、悲しいというかブルーな気持ちになるというか、なんとも言えない余韻に浸っていましたが、バケモノの子は悲しさもありながら前向きな気持ちになることができました。
バケモノの子をもう一度観たいなぁ。