芥川龍之介の『羅生門』は、大正4年(1915年)11月に発表された作品です。
この前年には第一次世界大戦が勃発し、大正天皇と大隈重信率いる大日本帝国が連合国軍として戦禍の中へと突入した、そんな波乱の幕が開けた時代の作品でした。
新潮文庫からは『羅生門・鼻』として、昭和43年に第一刷が出版されています。今回は新潮文庫に収録してある小説「羅生門」のあらすじを簡単にまとめました。
小説「羅生門」の簡単なあらすじ
時は平安時代、寂れゆく京都の街の羅生門の下で1人の下人が雨宿りをしていました。
というよりは、主人に屋敷を追い出されて行き場を失い、羅生門の下で途方に暮れているのでした。
フトコロもすっからかんの中、生きるためには盗人にならざるを得ないと考えた下人は羅生門の楼へ登る梯子を見つけて、羅生門の内部へと上がっていきました。
するとそこには、行き場を失い行き倒れた京の人々の死骸が、ごろごろと転がっているのでした。
その中に1人の生きた老婆がいて、死骸の髪の毛を抜いていました。下人が聞けば、老婆はその髪の毛でカツラを作って商売をするというのです。
下人は生きるためなら何も悪いことでは無いと言って、自らは死骸から着物を剥ぎ取りました。
餓死を避けるため、着物を金銭に変えるために、下人は羅生門の梯子を降りて闇に消えました。
といった内容です。羅生門は短編の作品で、すぐに読み終えることが出来るので気になった方は読んでみてください。
羅生門は今もある?どこにある?
羅生門は794年に完成した平安京の朱雀大路南端に建っていた正門「羅城門」の別名です。
「生」の建物の中に死が存在していたことや、生きるために盗人にならざるを得ない状況は、なにか芥川龍之介の周囲の出来事や世界大戦が始まった不穏な空気が影響したのでしょうか。
「羅」というのは絹織物のことで、それを含めると羅生門で「羅=着物」によって生き伸びようとする下人の姿が羅生門というタイトルにかけてあるようです。
ところでこの作品で舞台となっている羅生門は、今は一体どうなっているか気になりました。
調べてみると、羅生門は13世紀にはすでに失われていて再建されることもありませんでした。
どのあたりにあったかと場所を探ると、羅生門の場所は明確に判明しました。それは京都市の九条通に接する、京都市南区唐橋羅城門町の小さな児童公園のある場所です。
児童公園内の滑り台の前に「羅城門遺址」の石碑がひっそり立っています。羅生門はとっくの昔に消失していたのですが、羅生門の代わりと言って良いのか、公園の手前には愛宕山大権現のお堂と観世音菩薩が建っています。
芥川龍之介の名作は多くありますが、簡単に読む事が出来る短編小説「白」もオススメです。
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